全国信用金庫協会発行の「楽しいわが家」に連載中の能村庸一(時代劇プロデューサー)のエッセイ2006年分(2号ほど手に入れられなかったのですが)を能村庸一チャンバラ倶楽部コミュ内にてアップしました。
時代劇がお好きな方は、お時間のあるときにコーヒーでも飲みながら読んでみてください。
時代劇プロデューサーならではの貴重なエピソード満載です。
来月も掲載予定ですのでお楽しみに!
また能村コミュにてこんなことをしてみたい等のご要望、ご意見等も是非お寄せください。
昨日は所用で渋谷へ。
その後、仕立てていた洋服を受け取りに銀座へ。
渋谷と銀座は同じ都内にありながら違う国のよう。
それぞれの街の持つパワーを感じる。
わたしは、そんないろんなパワーを持った都内を移動するのが好き。
加賀まりこさんとムッシュかまやつさんがテレビで、「私たちは死ぬまで都会から離れるつもりはない。だって田舎行くと年と取っちゃうもの」と対談をしていた。
この精一杯突っ張っているふたりがとても愛らしく見えた。
都会で暮らしていていると、年齢や職業はまったく意味が無くなる。
その人自身がどういう人なのかなんて、受け取る自分が勝手に決めればいい。
きっと相手は自分と向き合っているときは自分の考えている人になってくれている。
そう、東京の人と街はそっくりなのだ。
最近、「ワクワクすることを全てやってしまおう」という内容の本を読んでいて、思いっきり感化されまくっています。
ということで、金曜日は近所にあるのになかなか行けなかった(理由をつけては行かなかった)国立劇場にて歌舞伎鑑賞。
わたしが見たのは“社会人のための歌舞伎入門”という良いとこ取りのもので、時間にして2時間弱。松本幸四郎演じる俊寛、歌舞伎ならではの舞台装置、義太夫さんの語り、なかなか見応えありました。
上演中、歌舞伎と落語の違いについて考えていて、出た結論はテレビとラジオに似ているな、と。
歌舞伎はとにかく見せる(魅せる)、見せる。視覚から入ってくる感じ。
落語は聴覚、耳から入ってきて、頭で整理してイメージに変える。すなわち客に想像力がないと噺についていけない。
わたしのイメージではテレビ(視覚)とラジオ(聴覚)です。わたしはどちらかというとラジオ派ですが、どちらも芸が素晴らしければ、観客席との一体感が堪能できます。
そして思ったのは、この素晴らしい芸文化が残っているのは、ひいき筋に散財する資産家達の力が大きかったのだろうなということ。とりわけ札差業者の皆さん達はすごかったと聞きます。
相撲界の谷町、祇園を盛り上げる旦那衆が減ってきていることに、わたしとしては温暖化問題や高齢化社会よりも危機的なものを感じます。
昔の資産家は「貢献」なんて考えていなかったところが良かったのでしょうけどね。
時代が後から証明してくれるような散財、憧れます。
と、まぁ、歌舞伎を見に行っただけで、いろいろと考えるわけです。
大人になってから体感する日本文化はアタマにカラダにおもしろいように吸収されます。
歌舞伎鑑賞はこの先もしばらく続けたいと思います。
今日はヒット商品「爪もみ太郎」の足用「爪もみ花子」の打合せで、監修の長谷部医師宅を訪れました。
長谷部医師宅を訪れるときは、いつもバタバタな状態でご迷惑ばかりお掛けしているのだが、今回はスムーズに進みました。長谷部先生、奥さま共にいつも穏やかな雰囲気。ありがたいです。
最近は商品企画書について考えています。
今まではぼんやりしていたものが何となくかたちになってきたのでこれを着実に進めていきたいな、と。ツールは大事ですね。
「爪もみ花子」は年内通販で販売になる予定です。すでに「爪もみ太郎」をお持ちの方は是非、兄妹揃えてあげてください。
「夏は怪談!」なんて言ってから随分ごぶさたし、秋に突入。
昨日は、石津祥介さん主催のボタンダウンクラブのイベントに参加。
落語と津軽三味線と牛鍋がセットになった濃い内容。
久しぶりにお会いする石津さんはまたお若くなったような気が・・・。
食欲も旺盛でわたしは少々牛鍋づくりに忙しかったです。
実は浅草「米久」はよく行く牛鍋屋さんで、あの独特~な雰囲気が私好み。
その米久で大好きな落語と生の津軽三味線が聴けて大満足。
欲を言えば、噺家さんはふたり、最低2席は聴きたかったのが本音。
ま、寄席じゃないからね、我慢。
今後、イベントは和シリーズでいくとのことでしたので、とても楽しみです。
正月に三河万歳を呼んで欲しいな~。石津さんにお願いしてみようかな。
ん?アイビー精神はどこへやら?
「オックスフォード大学」のワッペンが「適々斎塾」になったりして。
ログインパスワードを忘れてしまい、ブログ更新できませんでした。
今、ふとパスワードを思い出し、無事ログインできました!今日の私は冴えています。
先週は三越納涼寄席。(あいかわらず落語にはまっているんです)
“夏と言えば怪談でしょう”ということで、
三遊亭圓朝作品、今夏公開の映画「怪談」の原作、「真景累ヶ淵」を通しで聴いてきました。
このお話、ひと言で言うと「ドロドロ」でした。因縁が末代までずっと続く。
“因縁”って最近は聞かなくなったけれど、昔はもっと身近にあったのでしょうね。
個人が先行する現在では、「因縁って言われても・・・」というかんじでしょうか。
因縁に翻弄される人たちって文化として「あり」だなぁと思うのですが・・・。
・・・いや、私は出来ることなら巻き込まれたくありません。
ご先祖様、そこのところよろしく頼みます。
落語にはまっている。
年末に、山野楽器で落語DVDとCDを大量購入。
昨日はお風呂に入りながら落語を聴くために、ビックカメラでお風呂CDを購入。これでゆっくり半身浴なんぞしながら落語に没頭する予定。
HDDにも落語関連の番組を録り貯めているし、小朝師匠関連では「三匹が斬る!」の再放送なんかも録っている。
2月には小朝師匠の落語を聴きに行く予定。(木久蔵師匠との2人会)
寝る前に「人生で必要なことはすべて落語で学んだ」なんていう本を読んでいる。
・・・わたし、一体何になりたいんでしょうね?
11月に銀座で5人会という落語を拝見した。私はライブの落語は初めてでしたが、とても良かった!その中でも脂がのっているな~と感じたのが、春風亭小朝さん。
とにかくその芸のすごさに圧倒された。
あの芸をもう一度!ということで、昨日は春風亭小朝さんの独演会を見に行った。
小朝さん曰く、「12月に落語を聞きに来る人って云うのは、年末の資金繰りに困っていない人か、それか資金繰りが廻らなくて、今日の落語会を冥土の土産に一家心中という人か・・・どちらにしてもおめでたい人」とのこと。
いいねぇ。わたし、とてもおめでたいですよ。
落語の演目は12月だから年末にちなんだものでした。お酒を飲む表現が何度か出てきて、お酒飲めないわたしでもついお酒が飲みたい気分に・・・(湯飲みで)。
大晦日に「今年も何とか一年乗り切ったねぇ」(もちろん気分は長屋)とかね。(←影響されやすい)
はぁ~、すごい芸を堪能しました。ごちそうさまでした。(?)
昨日は仕事の合間に展覧会に行きました。じっくり絵画を鑑賞するなんて本当に久しぶり。渋谷Bunkamuraで行われている「リール近代美術館所蔵 ピカソとモディリアーニの時代」。
少し前にDVDで「モディリアーニ 真実の愛」をみたばかり。モディリアーニという人物に興味があったのと、この時代の息づかいを絵画から感じ取りたかったのでとても良かった。
その中でもジョアン・ミロの作品に心奪われた。ミロの精神がかたちになった作品にちょっとゾクっときた。帰りにこのポストカードを購入。
時代が変わろうとしているときの人々の躍動感にとても惹かれる。私が今生きているこの時期も大きなうねりの中にあるように感じる。
こんな風にセンチメンタルになるのは、きっと秋の空気のせいだ。

ジョアン・ミロ 『顔』 1937年
「暮らしうるおう 江戸しぐさ」というものが新聞に掲載されているようで、(ようでというのは、この話題をブログで知ったから)“「呑気しぐさ」でバランスを”というのが今回のテーマ。
江戸商人の心得として、やる気、根気に続くのが「呑気(のんき)」なのだそうです。
矛盾しているようですが、人生も商売も、いいことばかりが続くはずはありません。だめでもともと、ものごとを長い目で見て、「陽」にとらえるのが呑気しぐさ。今で言うスローライフのような自然体の生き方で、無理は禁物でした。
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つくづく江戸時代って素晴らしい時代だったのだと考えさせられます。物事の本質が生活に根付いていて、国全体が大人だったのでしょうね。
日本は粋な大人文化から見事な子供文化へと変化しました。さてさて、この時代の平成商人はどうやって生きていきましょうか。
まずは、3日間ほどほったらかしのメールチェックから・・・。
ハハのんきだね~♪